新聞記者の生態というのは、なかなか知る機会がありません。よく目にするのは、テレビのニュースで国会議員の周りなどにマイクをもって必死に群がる姿で、そういうイメージがあります。想像するに、雨の日も風の日も取材に駆け回り、デスクで記事に仕立てては次のネタを探しに行く、そんな職業なのかなと思っていました。
『「朝日」ともあろうものが。』(烏賀陽弘道著)は、いわゆる朝日新聞社の内部を告発する内容です。わたしのイメージは部分的に当たっていたものの、現実はもっと壮絶で厳しい世界でした。
著者の烏賀陽弘道氏の経歴は、元朝日新聞社の記者で、現在はフリージャーナリストとして活躍しています。実際に朝日新聞社の内部で働いていた者としての立場で、見たまま体験したままを『「朝日」ともあろうものが。』に記しています。それは決して内部告発という組織バッシングにとどまらず、笑いと涙にあふれたドキュメンタリー小説に仕上がっています。
情報社会となった今日、『「朝日」ともあろうものが。』は情報に対するわたしたちの見方を一変してくれるでしょう。『「朝日」ともあろうものが。』の書評・感想を参考に、ぜひ本書を手にとってもらえればと思います。
「朝日」ともあろうものが。の書評・感想
まず、『「朝日」ともあろうものが。』の書評ですが、ここまで朝日新聞社という大手マスメディアにザックリとメスを入れた本はないと思えるほど、著者・烏賀陽弘道氏が遭遇した現実が、現場の目線で包み隠さず語られています。本書を読むと、朝日新聞社といえども普通の企業と同じなんだということがよくわかります。
本書を読むまで、「朝日」という名前を冠していると、なんとなく安心や信頼を感じていました。入試の小論文対策で朝日新聞の天声人語を読むように学校の先生から勧められたことは、その根拠のない信頼性をよく表しているでしょう。
ですが、『「朝日」ともあろうものが。』を読めば、朝日新聞社の記者でさえ、でっち上げで記事を書くことがあるのだということを知らされます。記事の内容が正しくない、つまり虚偽の記事だけでなく、取材すらしていない架空の記事が出たこともあるのです。
もちろんそんなことをした記者は懲戒解雇になったようですが、単に記者自身のモラルの問題というだけでなく、組織的な病巣の存在をうかがい知ることができます。それは、12年前にJR西日本で起きた福知山線脱線事故を彷彿とさせます。
さて、『「朝日」ともあろうものが。』の感想ですが、本書に書いてある内容は決して明るいものばかりではないにもかかわらず、まるでヒューマンドラマを見ているかのような面白さがありました。
著者・烏賀陽弘道氏の筆致により、軽妙でコミカルなタッチで描写された場面は電車のなかで思わず吹き出してしまう面白さです。かと思うと涙を誘う場面もあり、所構わず泣いてしまう有様。外で読むのに苦労しました。
人間が集まるとそこには必ずドラマが生まれる──やっていいことと悪いことはあるけれども、「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちになるのは、烏賀陽弘道氏が新聞社の仕事に愛情をもっていたからに違いありません。
烏賀陽弘道氏の経歴と「左翼が唱える日本会議陰謀論」の真実
烏賀陽弘道氏の経歴は、大学卒業後に朝日新聞社に入社して以来、2003年に辞表を提出するまで17年間勤め上げました。朝日新聞社を退社してからはフリージャーナリストとして活動し、福島の原発事故を追いかけ続けています。フォトグラファーやミュージシャンとしても活躍しています。
インターネットで検索すると「左翼が唱える日本会議陰謀論」というキーワードでいくつかの記事がヒットしますが、こちらは著書『フェイクニュースの見分け方』第1章の内容に関する引用とコメントのようです。
2016年に多く出版された本や記事のなかで、保守系政治団体「日本会議」が安倍政権の政策決定に重大な影響力を与えているという説が展開されていたようですが、烏賀陽弘道氏が独自に調べたところ、その説を肯定するに足る事実が出てこなかったということです。
『フェイクニュースの見分け方』は、元新聞記者としてメディアの情報をどう扱えばよいかの指南書となっています。『「朝日」ともあろうものが。』と合わせて、情報社会に生きるわたしたちにとって必読書といえるでしょう。
コメント